日本語ってスゴイそして素晴らしい : 北海道・札幌で働く社長の勝手ブログ〜人生は発見だ!ワクワクだ!〜

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日本語ってスゴイそして素晴らしい

2015/06/03

なんでこれだけ日本語に改めて興味がわきもっと日本語のルーツを知りたいと思ったのか?1995年にインターネットが日本に登場してから、ホームページというのを閲覧するようになり画像はもちろんですが、いろんな情報を得ようとしたときには全て言葉からその価値を知るからです。
さらにはホームページというツールを提供する側になり、さらには成果につなげることを求められより深く言葉のもつ力に惹かれたというのが自然な感覚です。

ある時、日本語って漢字、カタカナ、ひらがな、和製英語、アルファベットなど海外に比べるとなぜこんなにも多岐にわたってるのだろうと疑問に思いすごく気になりました。

そこで自分なりにいろいろと調べたり、教えてもらったり、そこで新たな発見がありました。まだまだ勉強不足で間違った表現があるかもしれませんが・・

まず身近な友人に教えてもらったことは、海外から日本へ来た人が公園に行って一番びっくりしたのは、ベンチで寝てる人が新聞を読んでたこと。
海外においては文字とは、富裕層だけが得られる特権なのに日本人はどこに行っても文字を読める人がいる。すごいと感銘を受けたそうです。それだけ日本の識字率が100%に近いということがいえます。

そんな中、行き着いた人物が小学校で学んだ「福沢諭吉」さんでした。

福沢諭吉は武士階級の出身とは云え、身分が低い下級藩士の二男に産まれたことは誰もが知る所。

「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らずと云へり」とは福沢諭吉の残した有名な言葉ですね。

そう今の日本語の礎を築いたといっても過言ではありません。

その一例が「経済」という言葉です。

この経済(economy)と言う言葉は、漢字圏では当たり前のように使われているが、実はこれが諭吉が創作した日本語だと知ったら、中国人や韓国人は何と思うのか。

確かに中国には昔から「経済」なる言葉が存在した。しかし中国語での「経済」は「経世済民」、つまり「国を治め民を救う」との意味で使われる。葛洪(東晋・317〜 420年)の「抱朴子・ほうぼくし」の記述を起源とするとされるが、諭吉はこれを「生活に必要な物質的財貨を扱う社会的行為」としeconomy の訳語とした。

「経世済民」の意味で使われた中国語の「経済」と、諭吉が意図した「経済」とは明らかに異なる概念だ。今に至っては中国語も韓国語も日本語なしでは成り立たない状況になっている。日本嫌いの韓国では自国語から日本語由来の言葉を懸命に排除しようとした時期(今もかな?)があった。しかし、余りにも社会へ浸透し過ぎていることと、その多さ故に泣く泣く諦めている。

日本語が定着してしまったのは、強圧的に使用(韓国語)を禁止させたからだとする意見もあるようですが、西洋の概念の日本語化は、朝鮮併合(1910年・明治43年8月29日)以前から既に始まっている。


「経済」に少し触れたので、為替について少し触れたいと思います。為替(money-order)も実は諭吉の創作です。諭吉はその著書「西洋旅案内・1867年(慶応3年)」の中で「現金に替えさせるという意味に合わせ、為替(かえしめる」という漢字をあてて創作した」と記している。つまり、これも純粋な日本語だった。ついでにbook-keepingを簿記と訳したのも諭吉だ。

日本では当たり前のように「米ドル」とか「香港ドル」と言う。しかし日本以外では「ダラー・dollar」と呼び「ドル」とは決して言わない。あの福沢諭吉ですら、米国留学から戻った後も「ドル」と呼び、「ダラー」とは言わなかった。日本独自の言い方が完全に定着していたようです。

明治維新で諸外国との交流が活発になり、今までには無かった価値観や言葉が一気に押し寄せ、今ならそのままカタカナ語で済ましてしまうのだろうが、当時の日本人は外来語をそのまま移入するようなことはせず、日本語として新たな言葉を創造した。多くの新語が生まれたのはこの時代だ。

「ドル」もその中の一つで、漢字の中で最も形の似通った「弗」を「$」の代わりに使い、「dollar」をオランダ語読みし(ドルラルス)、その頭をとって「ドル」としたようだ。何もわざわざ二つに分けて読まずとも良かろうにと思うが…素直ではない(笑)

しかし「$」に、漢字の「読み」でもなく「意味」でもなく、ただ形が似ているとのことで、「弗」の字を充てたのは面白い。新たに創造された中でも「形」が基本となったのは恐らくこれだけでしょう。

因みに、明治時代に日本で創られた言葉は甚だ多く、漢字の国である中国へ渡って使われているものも多い。中国の国名である「中華人民共和国」の「人民」も「共和」も日本で創られた言葉だし、北朝鮮の「朝鮮民主人民共和国」に至っては「朝鮮」と「国」以外は全て日本語だ。



特に日本語の素晴らしさは、四季があり四季の情緒を表現するにはとても適してるということではないでしょうか?

風の音や虫の声といった自然の音に対して、言語として感知する脳の機能を持つことになるのです。
これに近いのは同じ母音語族のポリネシア語だけであり、他の言語では風の音や虫の声は機械音と同じ雑音として感知します。

世界の他の言語のどれとも系統を共有しない孤立した言語であること。母音を主体にした言語。(母音語族)


日常の使用言語に表意言語(漢字)と表音言語(かな)が混在する。

表意文字と表音文字が混在する言語は日本語以外には存在しません。
そもそも文字を2種類以上もつ言語自体がほとんどありません。
身近なところでは、韓国(漢字とハングル語)くらいでしょうか。

表意文字は、書いた場合にはその意味するところが明確になり文字としての優位性が際立ちます。
表音文字は、話し言葉として使用される音を表記したもので文字としての意味はありません。

通常言語はどちらかの特徴に偏りますが、日本語においては話し言葉でも書き言葉でも同じように伝えることができる機能を持っているのです。

表現の多様さはこんなところからも来ているのですね。

また、日常使用の語彙数が世界で最も多く、最も表現方法の多い言語で、表記文字の多さは、その時々の最先端の文明を独自の文化に取り込んできた歴史を示すもの。

特筆すべきは、漢語による中国文明を取り込んだ時に、その言語をもとにしながら独自言語として存在していた「やまとことば」を表記する「かな」を生み出したことです。

結果として、独自言語を「かな」で維持伝承しながら、中国文明、ヨーロッパ文明、アメリカ文明を「漢字」、「カタカナ」、「アルファベット」で取り込んできたのです。

世界のあらゆる最先端の文明を取り込みながらも、それによって独自の言語を消滅させていない唯一の言語と言えると思います。

日常の使用語彙の多さは他の言語に比べてずば抜けています。

ネイティブ同士の会話の90%を理解しようとすると、フランス語では2,000語、英語では3,000語を理解で出れば可能だというデータがあります。
同じ条件で日本語を理解しようとすると10,000語が理解できていないと不可能だとされています。

結果は、日本語を使いこなせるようになるのは大変難しいということになります。
話す言葉については「ひらがな」と一部の「漢字」さえ覚えれば、何とかできるようになりますが、書かれたものを読みこなせるようになるには、日本人でも大変です。

日本語が会話は難しくないが、読み書きになった途端に世界でもとんでもなく難しい言語になってしまうと言われる理由がここにあります。

日本は地理的な問題もあって、ほとんどの文明を書物で導入し、それを読み解くことによって吸収してきました。

あらゆる分野にわたり、専門性の高いことから一般的なことまで膨大な量の翻訳本が存在します。

インドや韓国の学生が日本語を学びたい動機の中に、世界中の翻訳本の多さがあります。
彼らの国では最高学府の一部の人しか触れることができない資料が、町の本屋の棚にあふれているのが日本です。

向学心に燃える彼らは、はるか遠くのアメリカやヨーロッパではなくて、日本において現実的な世界の最先端の文化・技術を学べることを知っているのです。


そして人間は言葉を通して初めて認識するわけですが、言葉がないものは認識できません。それくらい言葉というのはものすごく影響の大きいものです。

最初はちょっとした日本語の疑問から始まり、それから言葉の持つ偉大さ、特に日本語の持つ偉大さを知り、それまで軽視してた部分が大きかったのですが、今ではすっかりと魅了されてしまいました。

今一度、我々日本人が当たり前に使ってる日本語、実は当たり前ではなく日本のこれまでの文化、そして諭吉さんをはじめ先人たちの努力の賜物があって日本語を学べてることに非常に感謝すべきことだと強く感じました。


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